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 湯田小学校は平成20年に,創立130年を迎えました。その創立130年を記念して,これまでの湯田小の長い歴史と,そこに残る様々な資料をご紹介します。


 湯田小学校は藩政末期に宮司坊(お寺)において寺子屋教育がはじめられたことに端を発し,ついに平成20年で創立130年を迎えました。
 これまでの藩政末期,明治,大正,昭和,そして平成の時代へとつづく長い歴史の中では,学校の名称変更,分校の統廃合等を経て,現在へとつづいています。これまでの長い歴史の中で,たくさんの子どもたちがこの学校で学び,そして社会へと巣立っていきました。その中で現在もここ湯田小学校に残る,記念碑や歴史的な史跡などを紹介します。


宮司坊手洗鉢

 宮司坊が廃寺になったとき難をまぬがれたのか,壊されずにすんだ手洗鉢(ちょうずばち)です。大正11年頃まで小学校の手洗鉢として使用されていました。湯田小学校が菅原神社跡に移転してからは,正門左側の築山に大事に保管されていました。今は小学校玄関の築山にあります。はすの紋様がかすかにわかり宮司坊の名残をとどめています。
菅原神社の土台石

 神社跡に残された石で,湯田小学校が昭和29年現在地に移転するまでは,校門左側の築山に保存されていました。今は湯田小学校屋内運動場(体育館)前にあります。毒虫や白蟻を避けるため,柱の周囲に水をためるようになっている珍しい石です。諏訪神社御供殿の基礎石は,もと菅原神社の土台石でした。
菅原神社跡 記念碑

 菅原神社跡に移転した湯田小学校の校門は,10段位の石段の上段に高さ2.5メートル位の立派な四角い石柱が両側に立っていました。右側には,校庭より3メートル位高い築山に大きな榎の古木が枝をひろげ墓石のような石が2,3個ありました。左側は,高さ1.5メートル位の築山になっていて中央に児童が5,6人で抱くような松の大木がありました。校庭整地のとき切り下げたため自然にできた築山です。松の大木の下に,菅原神社跡の碑が置いてあり,ほかに神社の土台石(基礎石)宮司坊手洗鉢があり聖域として,この築山で自由に遊ぶことは許されませんでした。碑は,昭和6年に建てられたもので,昭和5・昭和6年の卒業生入学生の記念です。
 現在は湯田小学校の湯田小百周年記念碑の横にあります。道真公を偲び菅原神社を語る唯一の貴重な碑です。
湯田小百周年の碑

 昭和53年(1978年)に,湯田小学校開校百年を記念して建てられたものです。湯田町民の奉仕作業により出来上がったもので,7個の石を組み合わせて基礎としてあります。7個の石は町内7公民会の融和と協力精神を象徴し,碑は末広の自然石で「将来に向かってますますはばたけよ」との願いがこめられています。卒業生の魂のこもった石碑です。


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