想夫恋
 慶長2年(1597年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵にあたり、島津義弘軍約1万人が、久見崎のみなとから出港。翌年、秀吉の死によって全軍引きあげとなり、おおぜいの家族も多く、鎮魂歌と歌とおどりとして始まったのが「想夫恋」(そうふれん)といわれている。 毎年8月16日に、黒いぬのでつつみ、黒の紋付、腰に脇さしという姿で、哀調ただよう三味線に合わせ海岸近くの松林にある「慶長の役記念碑」前で、わをえがきながら何かをまねきよせる手ぶり、手を合わせて祈る姿でくりかえしおどられる。
平和教育
1945年7月30日,朝の畑仕事のために学校に来ていた先生や子どもたちに向けて,アメリカ軍の飛行機による機銃掃射が行われ7名の尊い命が奪われました。上の写真の大きな慰霊碑は,その7名の子どもたちを慰めるために建立さました。滄浪小では,この日《7月30日》を忘れないために,夏休みの出校日に設定して必ず地域の方々からの体験談を伺っています。
正月の伝統行事(祝い申そ)

鬼火たき